2013年10月2日水曜日

マン・オブ・スティール考察?

 かなり今更ですが、『マン・オブ・スティール』を見てきた。
もう終演間近でしょうから、映画を見ながら思ってた事を書いておきます。

感触から言ってしまえば、一撃必殺で倒すといったスカッとするシーンは綺麗さっぱり無くて、強敵に手こずりながらもやっとの思いで成敗するという、かなり泥臭いヒーロー像に仕立てられている。
その方が人間味に溢れるというのも有るのでしょうが、「道徳を重んじる人間と、道徳という概念が無い我々(クリプトン星人)では、我々の方が強い」(うろ覚え)という台詞は、ヒーローものを考察するうえで興味深いキーワードではある。
だけどあれだけ乱戦模様だと、画面内では最小限度しか犠牲者を出していなくても、画面外では死屍累々だと思われる。
結構、逃げ出さずに事の成り行きを見守っているし、さらには重力地場変動までさせているのだから。

星の生き残りというのは、ヒーローモノにとっては定番ネタですが、地球の大気にやられてしまうというのなら、赤ん坊の段階で地球にたどり着くと、環境になじめず死に絶えてしまう可能性だってあるよな(過酷な環境という事は、クリプトン星には大気圏が存在せず、宇宙と同等の環境という事かな?)。
大人だって、血を吐いて気を失うんだから。

敵サイドに回って、クリプトン星を反逆罪で追放された者が、王を気取って、兵士(これが民という事になる)と共に宇宙を駆け回るも、クリプトン再興の夢は果たせずという事だが、コレって自分に酔っているだけだよな。
まあ、落ち武者ってヤツですね。

新聞局の女性記者を信頼して、いつの間にやら恋が芽生えていますが、この作品のどこに恋愛要素が有るのだろうか?
危険な状況から助け出された時に、”吊り橋効果”が働いたのだろうか?
まあ、信頼と愛情を同義に扱っている節は、作品を通して感じれるけど。


・・・書いておいて何だけど、我ながら相変わらずチープな思考回路ですねぇ。
(なので、単純な勧善懲悪モノが好き)


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